【コラム】ルワンダのスマイル「練達は希望を生み出す」


コラム「ルワンダのスマイル」について

ルワンダは1994年の民族間の対立による大虐殺の後は、国際支援やコーヒーやIT産業の発展により、平和が維持されて、国際的にも『ルワンダの奇跡』と表現されることがあります。

グリーンパスチャーズは、「コーヒーでルワンダを繋ぐ」をテーマに、コーヒーを通してルワンダの方たちをサポートする活動に積極的に取り組んできています。この奇跡の根底には、ルワンダで大切にされている、神を愛し、互いに助け合う愛のスピリットがあるのではないかと思っています。同じ愛のスピリットが一人一人の心にあれば、人の生活も地域も国も平和になると思っています。

グリーンパスチャーズでは、その心を学ぶ場として、このコラムを始めました。ご意見やご感想があれば、お問い合わせから、お寄せ頂ければ幸いです。草場


「練達は希望を生み出す」

1 絶望から希望へ

「人生は思わぬ展開をするものですね。自分の思い通りに動くものではない。けれど、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、いつの間にか絶望が希望に変わっている、ということがある」

これは試練の多い人生を送られた小説家の三浦綾子さんが、ご自身の体験を書いたものである。17歳から7年間、小学校教師として軍国教育に献身したため、戦後に罪悪感と絶望を抱いて退職。間もなく、肺結核と脊椎カリエスを併発し、13年間の療養生活が続く。ギブスベッドに寝たきりの闘病中に、キリストを信じ、洗礼を受ける。こうして絶望の淵から生きる希望を見出した三浦さんは、退院してからは、「罪とは何か、愛とは何か」を一貫して追求する作家として活動した。それらの著作の総発行部数は、国内及び海外を含めて、4200万冊を超えている。

私はオーストラリア留学中に、クリスチャンの学生仲間に勧められ、大学の図書館で、「塩狩峠」と「道ありき」の英訳版の小説を借りて読んだ。非常に感銘を受け、後に、私もキリストを信じて、絶望から希望を見出した。

2 練達は希望を生み出す

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」
(ローマ5:3,4)

数多くの激しい試練を体験したパウロは、こう書いている。そしてこの希望を、「神の栄光にあずかる希望」と言っている。(同5:2)

「あなたがたのうちに働きかけてその願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神によしとされるところだからである」
(ピリピ2:13)

練達から生み出された希望は、自分の願い(希望)ではなく、神の願い(希望)である。神がそれを実現してくださるから、その希望は失望に終わることはない。

ではなぜ、練達が神の希望を生み出すのであろうか。「練達」とは、「練られた品性」とも訳されている。英語では、キャラクター(character)「人格」である。患難を忍び耐えていくうちに、人格が練られていく。それは、自我に死んで、キリストに生きる過程である。キリストを信じて「神の子」として新しく生まれた「内なる人」がその人の内に住まわれる「キリストの霊」と練り合わされていく過程である。こうして、「希望の神」ご自身が、人の内側を「神の希望」に満ち溢れさせてくださるのである。(ローマ15:13)

「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである」
(IIコリント3:18)

「主につく者は、主と一つの霊になるのである」
(Iコリント6:17)

「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりひとりはその肢体である」
(Iコリント12:27)

要するに、聖霊の働きにより、神と人とが「一心同体」(神人合一)とされていく過程である。

3 神は陶器師

別の言い方をすれば、神は陶器師であり、人は粘土である。(イザヤ64:8)神は陶器師として、粘土である人を、患難を通して鍛え強くし、忍耐を通して神の人格を人の人格に練り込むのである。無価値な粘土が価値ある器に造られていく過程は、絶望的に苦しいものがあるが、完成された暁には、それは光輝く高価な「神の器」になる。だから、聖書には繰り返し、試練を喜びなさい、時には非常に喜ばしいことと思いなさいとまで書かれているのである。(ヤコブ1:2)

「試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう」
(ヤコブ1:12)

ささき みつお(グリーンパスチャーズ顧問弁護士)