ルワンダ共和国とルワンダコーヒーについて


■「千の丘の国」~ルワンダの地理

​ルワンダはアフリカ東部に位置する共和制国家。
日本の四国の1.5倍ほどの面積に約1,300万人が暮らす小さな内陸国で、コンゴ共和国、ウガンダ、タンザニア、ブルンジと国境を接し、首都はキガリで、イギリス連邦加盟国の一つです。
アフリカで最も人口密度が高く、治安は比較的良いとされています。
千の丘の国と言われ、段々畑と山や丘そして湖が多く、肥沃な火山灰の土壌に恵まれています。



​■「アフリカの奇跡」~ルワンダの歴史と現在

​1889年に牧畜民系のツチ族と農耕民系のフツ族の生活するルワンダ王国が、ドイツの保護領となり、第一次大戦後(1918年)以降はベルギーの委任統治下におかれました。

1962年にベルギーから独立した頃のルワンダは、アフリカで最も貧しい国のひとつでしたが、1966年に開始された経済再建計画の成果もあり、以後約20年間にわたりアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けました。

しかし、その後は都市化の進展や環境破壊が進み、コーヒー価格暴落もあり、貧富の差が拡大。経済低迷と社会の混乱な状態となり、1994年ジェノサイドが勃発しました。

残虐な内戦により多くの人命が奪われ、国民は心身ともに非常に深い傷を負いました。

しかし内戦終了後、人々は、復讐ではなく、和解と共生を選択しました。
近年農業改革、インフラ整備、綱紀粛正、IT産業の振興、海外からの投資奨励などによって急速な経済成長を遂げ、「アフリカの奇跡」と呼ばれるまでになっています。



​■「国策としてのコーヒー豆生産」~ルワンダコーヒーの歴史

コーヒーはドイツ人宣教師たちにより、1904年にルワンダに持ち込まれました。
最初にコーヒーの輸出が記録されたのは1917年頃で、1930年からはコーヒー栽培が義務化されました。
その頃から、ルワンダにおいてコーヒーは、国の収入源として、社会及び経済の発展に重要な役割を果たしてきました。
当時はルワンダで唯一の外貨獲得をできる製品でした。
その後、1994年の内戦と1990年代のコーヒー危機の後、2001年に始まった、米国の国際開発庁 (USAID)の資金によるPEARLプロジェクトは、ルワンダコーヒーの量から質への転換を図り、ルワンダ・スペシャルティコーヒーへの扉を開きました。

その際に、

Rwashoscco (Rwanda Small Holder Specialty Company): http://www.rwashoscco.com/

​の小規模農家協同組合が設立され、

​Buf Coffee: http://www.bufcoffee.com/

等さまざまな組織が立ち上げられ、アフリカで最初のカップオブエクセレンス(COE)が2008年にルワンダで開催され、その後継続してルワンダのCOEが開催され、コーヒー豆の生産と品質の向上が図られ、今日に至ります。



​■「フルーティーで上品な酸味、クリーンカップな味わい」ルワンダコーヒーの特徴

ルワンダコーヒーは主に、伝統的なアラビカ・ブルボン種です。赤道直下の高原と肥沃な火山灰土壌での栽培と精製によって、フルーティーな香りにフローラルなアクセントがともなう柑橘系の芳香と、クリーンカップな味が顕著な特徴です。
標高が高く、発酵作業を行う夜間の温度が抑えられて、上品な酸味を生み出しています。